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茨城の忠臣蔵とも言える、桜田門外の変

桜田門_東京都千代田区

我が水戸藩は、老中 井伊直弼により、数多くの弾劾を受けていた。中でも、徳川家九代藩主である徳川斉昭も糾弾を受け、水戸家は窮地に追い込まれていた。このままでは水戸家は滅亡してしまう。。
老中 井伊直弼さえ居なければ。。
その思いが極限に達したとき、井伊直弼を討つ計画が起こった。
これが後に伝わる、『桜田門外の変』である。


桜田門外の変_関鉄之助先生の碑_茨城県久慈郡大子町袋田
安政7年(1860)3月3日、雪の降る日。
老中 井伊直弼を討つ計画の検討の結果、唯一隙がある場所、それが桜田門であった。
陣頭指揮を執ったのは、関鉄之助であった。関鉄之助の懐に忍ばせている銃を放ったとき、計画は遂行される。
しんしんと雪が降る中、井伊直弼が乗っていると思われる籠が目の前を通りかかる。そのとき、関は銃を放った。一斉に襲い掛かる桜田十八士。


襲撃の結果、桜田十八士は重軽傷を負いながらも、井伊直弼を討つことに成功しました。井伊直弼の失落により、幕府からの水戸家の弾圧も多少緩むものとなりました。
が、失ったものも数多く、決して美談なストーリーではありません。

KOUJINN(旅人)がこの話を知ったのは、吉村昭先生が書かれた『桜田門外ノ変』(上・下)を読んでからです。この本は、入念な取材により、事細かに桜田門外の変に至った内容が書かれています。いばらきがだいすきなら、一度は読んでおかなければならない本でしょう。
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